ヤマハ RD56 ワークス・レーサー
実車について:
「世界でもっとも速い250cc」と称賛されたRD56は
RD48の発展型として1962年秋、鈴鹿サーキットでの「第1回鈴鹿全日本ロードレース大会」でデビュー。
翌63年から65年までの3年間世界GPを戦いました。
1963年のベルギーGPで伊藤史郎が優勝、ヤマハに初の世界GPでの勝利をもたらしたマシンとしても知られています。
64年世界GP前哨戦にあたるシンガポールGPで重傷を負った伊藤史郎に代わった
エース・ライダー「フィル・リード」のライディングにより1964年、1965年とライダー/メーカーの両タイトルを獲得。
ホンダ陣営が急遽開発した250cc6気筒RC165に後塵を浴びせて
「ヤマハ」の名声を世界に轟かせたメモリアル的マシンです。

外観上の特色でもあるロータリーバルブと別体フロートのM34キャブレター
ショート・ストロークの2サイクル2気筒エンジンは、ポンプによる強制潤滑機構、後のオートルーブも搭載され、
50ps以上/11,000rpmの出力を誇っていました。
それまでの強度に問題があった車体まわりもフェザーベッドタイプのフレーム
新前後サスペンションなどを採用して強化を図っています。
資料写真で見る限り、フロントブレーキやクラッチ・カバー形状などから、大きくは前後期に分けられるようですが、
マシンはGP参戦中、様々な改良変更を受けているのが通例ですから、各個体の特定はできません。
このモデルは1963年後半、新加入したフィル・リードが乗ったゼッケンNo.3の
転倒したカウル付きマシンをモデリングしました。
製作:
この製作は、私が模型製作を中断する20数年前に作りかけていたプロターの
レストアという形でスタートしました。
最初は簡単に考えていましたが、気になるところが多く、結局あらゆるところに私なりに手を入れてしまいました。
模型作り再開後、初のプロターキットであることも影響して、
どうせなら資料で分かるところは全て再現してやろうと張りきってしまった訳です。
詳しいプロセスは、「ただいま製作中」を観て戴くとして
まあ初期のプロターの「素材」としての素晴らしさと、作り手の力量を問うような荒っぽさと適当さ(?)の両方を
久し振りに堪能しました。
仕上げは例によって、大量の汚し(と一部の錆)で実感を出したつもりですが、どうでしょうかね?
ちょっと汚すぎますか・・・・。
RD56 in Progress
カウル付きの感想:
このRD56の製作では、最初から(脱着式)カウルを付けてやろうと計画していました。
プロターなどのクラシック・レーサー模型では、組み上がった精密なエンジン部分が隠れてしまう、という理由からか、
カウル付き完成モデルは殆ど観たことがありませんので、ぜひ作ってみたかったこと。
それと、資料写真で見つけたP.リードの転倒跡の着いたカウルを妙に気に入ってしまったためです。
上手くフィットはさせたのですが、やはり後部が垂れ下がってしまい
本来地面に水平な筈の赤ラインが斜めになってしまいました。
これを直すには、また下部の切り分けから再開しなければならず、涙を飲みました。
唯一禍根を残すポイントです。
キットについて:
プロターの頁でも書きましたが、
これは藤産業による日本パッケージのプロターです。
タミヤでは既に白地に精密イラストのパッケージが登場していましたので、
この不細工な写真パッケージには実に情けない思いをしました。
でもいま見ると微笑ましくて、ちょっとお宝っぽくて?
なかなか味があるようにも思いますね。
キットの中味は、あちこちで書きましたように、素晴らしい「素材」です。
そのまま作ればそれなりの雰囲気ですし、手を入れれば入れるほど 
「よさ」は増します。
そんな点でこの当時のプロターは、現在のキットとは全く違うジャンルに 
属する模型キットだと言えるでしょう。
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